「向き不向き」のこと。

「君は音楽向いてないから、やめたほうがいいよ」

みたいなことを、10代のときに、オーディションでよく言われたのですが


向いていないとしても、
それはやめなければいけない理由にはならないと思い、続けてきました。



自分は間違いなく、音楽に向いている。と、断言できるかといわれると

正直、そこまでの自信はないです。


なぜならば、向き不向きとは、そんなに簡単に判断できるものではないと思うからです。


向き不向きの絶対的な根拠って、
数年やってみただけで、提示できるものではないし

ほんのちょっとの成功体験で、向いてるとか
ほんのちょっとの失敗で、向いてないわとか

すぐ決めつけられるものでもないと思うのです。


今だって
「配信やめたほうがいいんじゃない?向いてないよ」
なんて言われたりします。

何でそんなことおめーに言われなきゃならねえんだ好き勝手言ってんじゃねえぞこのクソボケカス野郎め

と思う気持ちも、めちゃめちゃありますが

自分が生きていくためだったり、自分の人生のために、
たとえ向いていないことかもしれないことでも、やらなきゃいけない状況もあるんすわ。

だから、最終的には、向いてる向いてないなんて言ってらんないし、そんなんは関係ないんです。


だけど、それはそれとして、
その中でも、自分の中で大事にしたいなと思う感覚が

「苦じゃないな」と思えることだとおもいます。


音楽活動をしていて、また俳優の活動をしていて
とても大変なことや、上手くいかないことや、時には辛いなと思うことも当然あったりしますが

それも含めて、「苦ではないな」と思うのです。


お仕事として、やらせていただく活動なんかは、楽しいことのほうが少ないです。
ハッキリ言って。

それでも、続けられるのは、楽しいからじゃなくて、「苦じゃないな」の感覚があるからなんだとおもいます。


これが、
ああもうむりちょっともうむりだわいますぐやめたいにどとこんなことやりたくねえわっていう感じだったら

やっぱり、それはやめたほうがよくて、それはもしかしたら向いていないことなのかもなあと思ったりします。


そうやって、自分のできるできない向き不向きみたいなものを模索しているところなので

ひとが一生懸命取り組んでいるものに対して、
向いてないよ、ということを軽々しく決めつけるようなことは言わないほうがいいかもしれないですねえ

[今後の活動予定] 
《ライブ》
「ながしまれいのひきがたりはいしん」@Pococha
毎日
よる9時30分ごろ〜











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