「ジェンダー」のこと。
僕と親しいひとは、
僕がどんだけ女性が好きか、をよく知っていると思うのですが
たまに女性が好きなことに対して「『正常』だよ」と言われたりすることもあります。
そのときに、とんでもない違和感を覚えるので
「それだと、同性が好きなことが『異常』みたいになりますよ」と言ってしまうこともあります。
もうひとつ違和感を感じることがあって、「セクシャルマイノリティ(性的少数者)」という言葉なのですが、これもこれで、あんまり僕の中でしっくりこないのです。
なぜならば、マイノリティであるかどうかなんて、そもそもわからないし
そういう分け方をするのは、適切ではないと思うのです。
なんとなく自分が感じていることで
日本が向かおうとしている、ジェンダーレスの時代って、良くない方向なのかもしれないなと思うのです。
と、いうのは、日本って肩書き文化が根強くあるから、
あなたの性別は何なんですか?
「男性」ですか?
「女性」ですか?
それとも「セクシャルマイノリティ」?
「LGBT」のどれですか?
みたいな、結局どこかしらに、フォルダ分けしないと落ち着かないみたいなところがある気がして。
そうなると、そのどれにも当てはまらないひとは、結局生きづらいし
「男性」でも「女性」でもない変わりもののひとたちのことも、肯定して受け入れてあげましょうねっていうような、そういう時代になっていったら嫌だなと思うわけです。
だけど、そうじゃなくて
みんながみんな、グラデーションの中に入っていくことが、ホントのジェンダーレスなのだとおもうのです。
そうすれば、多数派だとか少数者だとか、そういう言葉は必要なくなると思うわけです。
だから、この言葉に違和感があるのです。
例えば、
僕は男性ですし、女性の方しか好きになったことがありませんが、
たとえば、
可愛いものが好きだったり、
誰かの陰口を言うのが好きだったり、
人に甘えたかったり、
可愛いって思われたいし言われたいっていう気持ちはすごくあるので
完全に「男性」っていうより
自分の中には女性っぽい部分も混在していて
それを、女々しい男、っていうのも、なんか違うなあって感じで
そうなると、
女性的な要素がある男性。みたいな、
LGBTどこにも当てはまらないのだけど、
グラデーションの中に入ってしまえば、そういう微妙なラインも、なんかアリな気がしてきて、楽になってくる。
そういう
誰もがみんな自分だけの心の性別があると、本当の意味での多様性になって、お互いを認め合える時代に近づけると思うのです。
みんなが、みんな、ちょっとずつ、違う、っていうことで良いと思うのです。
自分の性別に違和感がある人も、ない人も、楽に生きていけるためには、もう少しそういう感覚っていうのが、あったらいいなって思ったりしますわ。
[今後の活動予定]
《ライブ》
「れいちゃんの弾き語り部屋」@Pococha
毎日
よる9時30分ごろ〜
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