「普通のこと」のこと。

21歳のときに、川中美幸さんの特別公演にコーラスで参加させていただいていたとき


本番前に、舞台袖で、待機しながら


”自分は普通の21歳では経験できないことを、たくさんさせてもらっているな”


ってふと、思ったんです。



10代の頃に、紅白歌合戦のバックコーラスのメンバーに入れていただけて、NHKで年越しをしたのは、この上ない最高に贅沢な年越しだったし


自分のMVにAV女優さんに出演していただいて、ベッドシーンで思いっきり絡ませていただけたことも、すごいことだし


テレビに出演させていただけることも、誰もができることではないですし


実際、俳優になりたい!と思っていても、現場にいけない方が、たくさんたくさんいるなかで、自分は今の活動をやらせていただいているわけで


当たり前なことなんか、ひとつもないと思います。



でも、最近になって、思ったんですが


普通の23歳が普通に経験してきたようなことを、経験せずに生きてきてしまったような気もしています。



僕は、高校生の頃から、演劇や音楽に関わりはじめ、


10代の、いわゆる青春と言われる時間のほとんどを、演劇と音楽に捧げてきました。


だから、友達と普通に遊びに行ったり、恋人とデートしたり、アルバイトしたりっていう時間が、全くなかったわけではありませんが


相当少なかったです。



そうしたら、23歳になった今、


友達との付き合い方や関わり方が、よくわからないし


恋愛の経験も極端に少ないから、恋愛の話に共感できないことが多かったり


本当に社会のはじっこの方で生きているような感覚がずっとあります。



そんな中、いろんな年上の方から

「若いんだから、遊んだほうがいいよ」とか「たくさん恋愛しな」とかっていうアドバイスを頂くことが多いのですが、本当にそれができないんです。


確かに、若いときにたくさん遊んでおいたほうがいいのかもしれないですが、そもそも、どう遊んだらいいのか分からないし


恋愛しないと良い歌詞書けないよと、言われると、余計に恋愛しなきゃいけないんじゃないかっていうプレッシャーに駆られて、どんどん難しくなっていくし


そもそも、それって、恋愛したいとか、遊びたい、とかじゃなくて、

確かに、しておいたほうがいいから、しておきかなきゃ!

になっちゃってて、結局「どうすればいいんだ?」ってなっちゃうんですよね


だから、そういうアドバイスを聞くことが、できないし

遊んだり、恋愛したり、ってことが多くのひとは、普通にできているのかもしれないけれど、僕には難しいことだし


普通って、ものすごく尊いものだなっていっつも思います。



自分は、色んなものを犠牲にしながら、音楽や演劇をやってきました。


と、言えたらカッコいいのですが


結果的に、犠牲になっちゃっただけだと思います。



「まあでも、れいくんいくつよ?23でしょ?まだ若いから、これからだよー」

という声が、どこからか聞こえてきそうです。


誰ですか?



あと、

自分は勉学がとにかくできなくて


小学生のときから、塾に通ってて、

高校受験の前には、マンツーマン授業も受けたりしていたのですが


それでも、成績が伸びず、担任の先生に私立の受験に落ちて、定時制の学校も不合格で、唯一受かったのが、演劇や音楽を学べる芸能系の学校でした。



そんな話をすると、

「勉強できなくても、音楽や演技の才能があったから、よかったね」

とか

「もしも、それで勉強できたら、今の道に進んでなかったかもしれなかったよね」

とかって言われたりすることもあるのですが


確かに、そういう部分も、たくさんあるのですが


それは半分以上、間違いで、


僕が、勉強ができなかったけど、今なんとかやれているのは


僕に才能があったからでも、努力したからでもなく、

家族の支えがあるから、っていうことに尽きると思います。



これで、もし、自分が、

家族に反対されたり、あるいは学費を払ってもらえるほどのお金のない家庭だったり、ものすごく深刻な問題のある家族だったりしたら…


考えるだけで、身震いします。



家族に全く反対されなかったわけではないのだけど、

結果的に、その道に進めたのは、なぜかというと


「反対のしようがない。」

と、いうことでした。



実際、今、ほとんど仕事ができていないし、

そもそも、ものすごく不安定な収入だし、親の支えがないと生きていけないって社会的に言ったら、ホントにダメだと思います。


ですし、

勉強ができないことも、きちんとした仕事をできていないことも


とっても恥ずかしいことです。



だけど、なぜ、この、とっても恥ずかしいことを、あえて書いているかというと


僕のことを見て「勉強できなくても、なんとかなる」って思われたくないからです。

それは本当に大きな間違いです。



僕が、勉強ができなかったからこそ、思うけれど


勉強ができて、損することは、ありません。

勉強ができなくて、得することも、ありません。


勉強ができて、悪いことは、ありません。

勉強ができなくて、良いことは、ありません。


そして、僕も、勉強を全くしなかったわけではありません。(笑)



先生から「努力は裏切らない」と言われたけれど

努力にも、その言葉にも、裏切り続けられたのです。



僕も、人から羨ましがられることもあるかもしれないけれど、

そういう普通のことが普通にできるってことが僕にとっては、羨ましい。



僕が、賢いとか頭良さそうとか、って言われるのは

見た目もあるかもしれないけど


頭が悪いから、頭使わなきゃ、どんどん悪くなってしまう恐怖から、

人よりも色んなこと深くたくさん考えるようにしているし


あとは、感性とか感覚とか嗅覚とか、そういった部分で、頭の悪さをフォローしているんだと思うし


そういう意味では、アンバランスな人間だとは思いますが


AIやロボットに仕事を取られるかもしれないと言われている、

これから人類にとって必要なことは、


頭で考えることや、人の気持ちを理解すること、臨機応変に対応すること、トラブルを解決することなど、


ロボットやパソコンにはできないこと、

人間にしかできないことを、

極めていく必要性があると思うので


勉学だけができても、難しくなる時が来るかもしれません。わからんけども。



それでも、とにかく、勉強ができて、損することは、ありません。

バカでメシが食える時代でもないです!笑


得意不得意があっていいと思うし、必ずしもバランスの整った人間である必要はないとは思いますが


勉強は絶対できたほうがいいです。

本当に。

0コメント

  • 1000 / 1000