「某アンパンの某パンチの某力表現について」のこと。

僕は子供を育てたこともないし、親になったことも、教育者になったこともないから


超無責任の極みで身勝手な意見かもだけど


個人的に思うことを書いちゃう



最近、話題の某暴力表現と言われている、某アンパンの某パンチ。


アニメを見た子供が、真似をして、人にパンチするようになるなら、


友達や周りの人をたくさん傷つけたり、泣かせたりすればいいと思うんだよなあ



そのたびに、先生に怒られたり、親に叱られたり、


その自分のパンチによって、傷ついたり、痛がったり、泣いている相手のことを見て


これはいけないことなんだと、いつか気づいて、

少しずつでもいいから、人を傷つけることが自分にとっても、大きなストレスをなるような人になればいいんじゃないかなあ。


そんな風には、いかないものなのかなあ?



じゃあ、悪影響になりゆるものや不適切な表現だと思われるものを全て排除して、子供から「悪」を遠ざけたら、「正しさ」だけが残るの?


自ら「悪いこと」を経験することで、「正しいこと」を少しずつ認識していくものなのではないのかなあ?


色んな重要なところをすっとばして考えちゃうと、大事なことを見失ってしまう気がするなあ



年齢が1ケタのときなら、ある程度は許容されるものなのだと思うから、

許される限り、たくさん失敗するべきだと思うんだけどなあ。


そのたびに、親や先生が叱る


本質的なことが理解できないうちは、怒られるのが嫌だから、めんどくさいから、怒られるようなことをしないしよう

みたいなことでいいとおもう


具体的に何が悪いのか、いつか分かっていけばいいんじゃないのかな



いやいや、そしたら傷つけられた方はどうなるんだよ


ってもうひとりの僕が僕に言う。



暴論かもしれないけれど


誰も傷つけず、誰にも傷つけられずに大人になる人なんて、おそらくたぶんきっといないと思うし


人に迷惑をかけず、かけられずに生きていける人も、きっとたぶんおそらくいない


学校みたいな場所にいたら、喧嘩やトラブルは起こるものだと思うし、そこから学んでいく場所なのかもしれないし


度が過ぎたことは例外として、

やられたほうも、そこから何かしらを学ぶべきなのかなあ。。


自分は嫌な思いをしたから、同じようなことを人にしないようにしよう

とかさ



あと、そもそもだけど、子供を教育するのは、テレビでもアニメでもなく、親だと思うなあ。


テレビ番組に教育に良いものだけを求めるあたりが、そもそもおかしい気がする。



こんなつらつら書いてて、アレだけど


すんごいシンプルな話で



子供が人前でおしりを出すようなことをしたら

親は「やめなさい」って普通なら言うでしょう


それを

「あ!!『クレヨンしんちゃん』のアニメの悪影響で、うちの子供がおしりを出すようになってしまったわ!!あの教育に悪い卑猥アニメのせいだわ!!どうしてくれるのよ!!今すぐクレーム入れなくちゃ!!」

ってなってたら、おっかしいでしょうに。

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