「自覚する」のこと。

ここ3日間連続でお仕事の依頼をいただき、嬉しい限りです

最近全然テレビ出ていなかったのですが、ドラマ出演も決まりガッツポーズ。

ほかにもすごく嬉しいことがたくさん決まっています

頑張りどきです。


自分の持っている能力がすごいことなんだと自覚できることってそんなに多くないと思うんですけど

実はそういう瞬間ってすごく大事だったりするのかなと

自分で自分のことすごいと思ってしまうのは良くないことみたいな風習?もあるような気がしますが


自分が当たり前にできることが、ほかのひとにはできなかったとき
「なんでこんな簡単なこともできないの?」と思ったりとか。

「こんなのこうすればいいじゃん」と思ったりとか。


自分が当たり前にできることも、その人にとっては、そんな簡単にできることじゃなかったりすることもありますな

自分の能力って努力して手に入れたものだけでなく、生きていく中で自然と培われてきたものであったり、いずれにしても実は尊いものだったりすると思うんです

だから、自分って本当はちょっとすごいんだな、みたいなふうに思える瞬間って貴重なのかなと思ったり。

自分の持っている能力が本当は当たり前ではないということに気づいて

そうすると相手に親身になって向き合えるのかな


最近になって知ったんですけど、僕が学生時代のとき、合唱祭の指揮をやるのは学級委員とか生徒会役員がやるって決まりがあったみたいです

それで僕は指揮をずっとやりたかったんですけど、生徒会でも学級委員でもないし、成績も悪かったので、出来なかったらしいです

今思うとすげえおかしいなって思うんですよね

だって生徒会や学級委員に向いている人が合唱の指揮にも向いているとは限らないし

そもそも興味はひとつの才能なのだから、立場や成績だけで人を判断して、意欲のあるひとをつぶしてしまうのは、そのひとの可能性を否定しているような、否定されているような気がする。

全体のリーダー的な立ち位置でリードしていくという意味では、たしかに同じようなことなのかもしれないけれど


勉強ができて、成績が良いひとはそれはそれで素晴らしいことだし

運動神経がよくて、スポーツが得意な人も、良いことだし

それと同じように、パソコンが得意な人がいたり、絵が上手な人がいたり、歌が上手な人がいたり、いろんなひとがいていいんじゃないの?って思うし、それぞれに居場所があっていいでしょう


僕は勉強もスポーツも全然出来ないから、選択肢が少なかった。

でも、選択肢がまったくなかったわけではない。


とりあえず今生きているし、自分のいるべき居場所があるし、やるべき仕事がある。

必要としてくださっているひとがいる。

それは超ミラクルラッキーボーイなのは間違いないのだけれど

みんながみんな同じ能力を持っている必要はなく

むしろ自分にはないものを持っている人のことを尊重しながら

自分自身のこともしっかりリスペクトしてあげられる自分になることが大事なんじゃないかなあ

[今後の活動予定]
《ソロライブ》
12月8日 ヘッド本〜冬の結〜@Nose art garage
12月24日 Mega Hyper Show@メガハイパースタジオ
1月14日Rei's Cafe Vol.2@相模大野Cafetsumuri
《サポートライブ》
11月23日 Chonサポート@水道橋words
11月26日HALLCAサポート@中目黒 楽屋
11月28日 赤堀梓未サポート@渋谷HOME
12月14日 大山力サポート@八王子papabeat

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